億万長者を目指す全ての方へ
このサイトは私の血と情熱と笑いで書き綴っています


無料メルマガ

テクニカル説明サイト

SNS

過去記事 2003年からあるぞ!!

コラム

Amazon.co.jpアソシエイト

2018年08月09日

おまいらまずはランキングポチしてから読めよ。

皇紀 2678年 8月9日

有名な罫線法で、酒田罫線法 ってのがある。 今の山形県酒田市出身の相場師

本間宗久 が考案したとされる方法である。 俺もかなり酒田罫線法は勉強したので

その過程でわかった事を少し話そうかと思う。 まず、本間宗久は元々は豪商で

こんな川柳がある。

本間様には及びもないが、せめてなりたやお殿様

庶民が殿様になれるワケがないのに、その殿様をもしのぐ財力を持っていた事が

この川柳からもわかる。 大東亜戦争前には、本間家は日本一の地主であり

江戸時代は25万石の豪農であったそうだ。 1万石以上から、大名と言われるし

当時の日本は300の国に別れていたので、25万石となると大大名の規模となる。

こんな人が、相場師といえるのか? って話だ。 膨大な量の米を扱う豪商で

あれば、当然 ヘッジで米相場に参加するだろうし、それは実需でやる事で

相場を張ると言えるのだろうか? また、そもそも 堂島の米市場が1730年に認可

されて、取引形態が整備されたのが、彼の死後となっている。 となると・・・

堂島の米市場で相場を張っていたというのが疑わしい。

それでも、思いっきり好意的に考えて、相対取引や合百のような取引所を使ってい

たとして、さらにローソク足を考えたのが本間だとしてだ、

彼が高値・安値・始値・終値 を記録してローソクを書いていたのか?

とんでもない規模の会社の社長が、そんな事をするか?

こうなってくると、酒田罫線法を考案したのが、本間宗久と言うのは、非常に

怪しいと言うことになってくる。 実際に、酒田罫線の歴史研究家の間では

その説はないというのが常識になっているようだ。 どうも、明治以降に

その手法が体系化されたと言うのが最も信憑性のある説になっている。

まあ、それ以前に相場師 というのも、そもそもおかしいんではないか?

と思うのだ。 例えば、ソフトバンクの孫さんや、マイクロソフトのビルゲイツが

株をやりました。大変儲けたそうです コレ 相場師って言えるのか? って事に

なる。 確かに、相場師ってのは 名乗った時点で成立するので、言えなくはないが

俺はちよっと違うと思う。 こういう話をするのであれば、俺もそうだな

株や為替に手を出す前に会社をいくつも持っていたし、相場からの収入に頼らず

生活が出来る環境であった。 途中から相場にのめり込み、今では相場で

メシを食ってはいるが、相場で財産を作り相場で一旗あげたワケではないのである。

実際、仕事は何を? と聞かれると IT系の会社をいくつか経営しています

って答える。 相場やってますなんて言うと、コツを教えてなんて言われて

面倒くさいことになるからだ。 話を戻すが、酒田罫線法は本間宗久が作ったので

はないが、インチキと言うのではない。実戦ではかなり使えるのでチャートを見る

時に使ってはいる。 ただし、足組みはほぼ無視している。 使うのは新値を

数えて日柄を見たり、逆行新値を数えて押しや戻りを判断するのに使うだけだ。

これは、統計の裏づけがあるし信頼性があるので使っている。 こういったモノで

大事な事は、統計の裏づけがあるのか? どうしたら仕掛けるのか? どうしたら

手仕舞いをするのか? と言う事が明確になっているモノでないと使い道がないので

ある。 昔の難しい言葉を使い難解な文章は確かに神秘的な雰囲気があるが

そんなモノでメシが食えるほど相場は甘くない。

今日もポチたのむぞ  にほんブログ村 株ブログへ 読み逃げすんなよ

トップに戻る